winter・エチュード 創刊
ポーランドの作曲家でピアノ奏者の「ショパン」は、自分が作曲した曲には名前を付けなかったらしい。その理由は、題名を付けると、曲を聴いた人にそのイメージしか与えられず、曲が固定されてしまうからだ。
ショパンの曲の多くが「エチュード」、つまり「練習曲○」というタイトルである。
静岡県内の地方局、SBSラジオが「泣きウタリクエスト」ということで、誰もが経験した、出会い・恋愛・別れ・感動…。あなたが思わず泣いてしまったこころに残る曲「泣きウタ」と「エピソード」を毎日、特集で放送している。
この企画にどれだけの人が涙を流したことであろう?
りんごはこの冬、「winter・エチュード」というカテゴリーで、全10回、自分の実体験、聞いた話をもとに脚色を加え、思わず泣いてしまう話を書いてみたい…。
私が10歳のころ、突然両親を交通事故で亡くし、唯一親戚であった祖父が私を引き取ることになり、東京から静岡にやってきた。急に親子という関係から、子どもと老人がひとつ屋根の下で暮らすことに大きな戸惑いがあったが、それ以上に祖父の方が戸惑っていたのではないかと思う。
私は両親が遅くに出来た子で、祖父はもう80歳という高齢であった。
学校行事はいつも祖父が来てくれて、運動会なんかは、ありったけの声で私を応援してくれる。学校で必要なものがあれば祖父は用意してくれる。「雑巾を持って来い!」、と言われれば不慣れな手つきで雑巾を縫ってくれるが、縫い目はぐちゃぐちゃ。
一生懸命お世話をしてくれる祖父が私は疎ましかったのだろう。
クリスマスを前に祖父は私に「クリスマスには何が欲しいか?」聞いてきた。私は祖父を困らせようと、「お母さんの味のビーフシチュー」、「お母さんが作ったクリスマスケーキ」……、到底祖父には作ることが出来ないものばかりを注文した。
今まで私はクリスマスと言えば、家族で過ごし、お母さんが作った料理やケーキを頬張り、クリスマスプレゼントを貰い、とても楽しいときを送っていたのだ。それが突然なくなったのだから…。
なんか私は、この世で一番惨めな人になってしまった感じがした。祖父もたった一人の娘を亡くして悲しいはずなのに…。
クリスマス当日の夕方、祖父は近くのスーパーに買い物に出かけた。
1時間くらい経っただろうか?大きな袋に野菜やお肉、箱に入ったビーフシチューのもとが入っていた。
祖父は台所に立ち、包丁を片手に慣れない手つきで野菜を切り、箱の裏に書かれた「ビーフシチューのつくり方」を何度も何度も見ながら、ビーフシチューを作っていた。
夜9時を過ぎたころだったか?祖父は私を食卓に呼んだ。
私が食卓に向かうと、部屋中、ビーフシチューの焦げくさいにおいが充満していた。食卓には焦げたビーフシチューが鍋に入っていた。その横にはドンブリに盛られたご飯が冷めて固くなっていた。
「お母さんのようには出来んかったけど…」、申し訳なさそうに祖父は私にささやいた。
私は、まずいビーフシチューをすすっているうちに、涙が溢れてきた…。
今まで一度も言えなかった、この一言をようやく口に出して涙ながらに祖父に言った。
「ありがとう…」
祖父の眼にも涙が溢れていた…。
それから年月が過ぎ、私が晴れて成人式を迎え、数日が過ぎたとき、祖父は私の両親のもとに逝った。
90歳を過ぎていた…。
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コメント
りんごさんの文章は、りんごさんの持っているやさしい空気がとても伝わってきますね☆
日常の日記も、こういったストーリーも、りんごさんらしさが表れてるなぁって改めて実感!エチュード創刊、じわじわきました。思わず泣いてしまう、でもどこか心温まる話、これからも楽しみに待ってます。
投稿: コラボちゃん | 2007年12月15日 (土) 20時05分
コラボちゃん、コメントありがとうございます。いつも訪問いただき感謝しています。お褒めの言葉、ありがとうございます。そのように言っていただくと励みになります。これからもよろしくお願いしますね。(*^。^*)
投稿: りんごからコラボちゃんさんへ | 2007年12月15日 (土) 23時36分